日本に社畜が超絶多いワケ【社畜と義務教育の関係】

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日本に社畜が超絶多いワケ【社畜と義務教育の関係】

「仕事やめたい」

今にも日本中の至る所からこんな声が聞こえてきそうですね。

そう、日本は言わずもがな社畜大国です。

GDP世界第3位の超経済大国の豊かな国であるはずの日本なのに

「なぜ我々はまだ労働で消耗しているのでしょうか?」

社畜とは

 

社畜とは会社+家畜の造語です。

その名の通り会社に忠実な人のことを指します。

  • 長時間残業
  • サービス残業
  • 休日出勤
  • 残業手当が出ない
  • 上司からのパワハラ
  • 無意味な飲み会
  • 無駄な仕事
  • 有給が取れない
  • 過労による自殺

などなど、少し考えてみただけでも日本の会社では理不尽なことが超多いです。

しかし、特に疑問に思わないのが社畜。

 

でもこんなに「社畜」と呼ばれる人が多いのは世界中見回してみても日本ばかり。

欧米では2週間のバカンス休暇だってザラにありますし、残業も多くない、休日出勤なんてあったらストライキが起こります。

 

 

「日本人は真面目で勤勉な国民性だから社畜の気質が元々あった!」

と言う人もいますが果たして本当でしょうか?

 

日本人に社畜が多いのは日本の義務教育の弊害であると考えます。

どういうことか?詳しく説明していきます。

 

日本に社畜が多いワケ①先生=上司

日本の会社では上司の言うことは基本的に守らなければなりません。

 

中には理不尽なこと言ってくる上司や、パワハラやセクハラをしてくる上司もいるでしょう。

しかし、反抗することは許されません。

 

中には反抗する強者もいますが、基本的には言うことを聞くのではないでしょうか。

反抗すると周りの目が気になって反抗できない人もいます。

 

今でこそ、後輩の意見をしっかり聞くフレキシブルな考えを持つ上司も増えてきたとは思いますが、それでもまだまだ少ない。

 

 

では、なぜ反抗することが許されないのか??

いや、正確にはなぜ上司に反抗してはいけないと思っているのでしょうか?

 

 

小学校、中学校、高校、と長い学校生活でそういう雰囲気を感じ取ったに他なりません。

学校教育ではクラスの中では先生が絶対であり、部活の中では先輩が絶対だという雰囲気がありますよね。

 

思い出して欲しいのですが、ヤンキーや反抗的な生徒よりも、先生や先輩に従順な優等生の方が好かれますよね?

気に入られたら成績も上がるし、進路指導の際、優遇もしてくれるかもしれません。

 

中学で1〜2年までは反抗的でヤンキーぶってた生徒が3年になって急に真面目になるのも、将来の進路に関わる学校の成績が先生の手によって握られているからでしょう。

先生には何かと好かれてた方が有利です。

 

また、部活でも基本的に先輩の言うことは絶対ですよね。

特に厳しいスポーツ系の部活に多いのですが、1個や2個しか年が離れていないのにも関わらずめちゃめちゃ上から目線な先輩が多いです。

 

少しでも敬語を使わなかったら怒る

雑用ばっかりやらされる

無駄だと思う練習もやるしかない etc

 

あれ?なんか会社と似てるような気がしませんか?

 

 

  • 上司や先輩に気に入られて出世する
  • 敬語を使わなかったら怒る
  • 雑用ばかりやらされる
  • 無駄だと思う仕事もやらないといけない

学校教育の中で体験したこととそっくりですね。

 

学校の「先生・先輩」という存在が「上司」に変わっただけで理不尽なのは変わりません。

 

日本に社畜が多いワケ②1つのコミュニティへの過度な依存

ご存知の通り、日本の小中高はクラス制が導入されています。

朝から晩まで同じメンバーと授業を受け、お昼ご飯を食べ、学校行事では協力し合い、まるで家族のような存在です。

 

『絆が深まっていいじゃないか!!クラス制の何が悪いんだ!!』と感じる方もいらっしゃるでしょう。

 

しかしこのクラス制にはデメリットがあります。

 

それは

「生徒の視野を狭くさせる」です。

 

四六時中同じメンバー、同じ先生といるわけですからクラス内の人間関係が濃くなって、友達を作りやすいのは事実です。

 

が、あまりにも閉鎖的な空間すぎてそのクラスの価値観=自分の価値観となってしまいやすいです。

しかも、ずっと一緒にいるということはお互いの嫌なところを垣間見る可能性もあります。

 

もし、ある生徒が『あいつ、なんかうざくね?』と言い出したらそれは瞬く間に『いじめ』と化してしまうのです。

『いじめ』が発生してしまったら『クラス』は閉鎖的なコミュニティのため逃げ場がありません。

 

部活や塾などに行って気を晴らすことができるかもしれませんが、明日からまた同じクラスに行って授業を受けなければなりません。

しかも思春期真っ只中の生徒がいじめにあって逃げ場もないという経験は今後の人生に多大なる影響を与えてしまいます。

トラウマになってしまうかもしれません。

 

 

話は変わりますが、日本の会社は基本的に副業禁止ですよね。

最近では、解禁の流れになってきているとは思いますが依然として禁止の会社が多いです。

 

そして、残業も多い。無駄な飲み会も多い。

会社にいる時間がとても長いのです。会社にいる人間関係が濃いのです。

 

そして、気づけば会社が全てになっている人生になります。

 

そして、会社しか知らずに一生を終わります。

 

なんだか日本の学校の『クラス制』に似てませんか?

 

職場という狭いコミュニティに依存させて、他のことを考えられなくする。逃げ場をなくす。

過労死による自殺なんてまさにこの『狭いコミュニティ』の弊害です。

 

『自殺する前に辞めればいいじゃん?!』

どうやら「クラス制」に慣れたことで、辞めるという選択肢が見えないくらい視野が狭くなっているようです。

 

 

日本に社畜が多いワケ③集団主義による無言の圧力

集団主義とは個人よりも集団に重きを置く主義です。

日本は、クラス制をはじめとして、同一カリキュラム、小学校の登下校、学校行事の準備、強制参加の部活、などなど『みんな』で一緒に何かをやる機会がかなり多いです。

 

そして、はみ出し者がいたら、

『みんなはちゃんとやってるのになんでお前はできないんだ?!』

『あの子はずっと会社に勤め続けているのになんでお前はすぐ辞めてしまうんだ』

『周りは結婚してるのにあんたはいつ結婚するの!?』

とか、他人と比較してどうのこうの言われますよね。

 

人それぞれ性格や悩みや課題、メンタルの強さは違って、個別に対応していかなければならないのにも関わらず、なぜか個人の意見が軽視され集団の意見のみが尊重されます。

 

そして、集団に合わせなければいけないあの雰囲気。

『KY』という言葉もこの日本の集団主義という文化あってこそ生まれた言葉でしょう。

 

  • みんなが行きたいところに行く
  • みんなが食べたい物を食べる
  • みんながかっこいいというものをかっこいいと思う
  • とりあえず世間で流行っている服を着てみる

そして、周りに合わせ、自分の欲求を押し殺しすぎた結果、自分の本当にやりたいことや好きなことが分からなくなり、気づけば自分を犠牲にして他人の為に生きる人生になります。

 

そして会社でもこの『集団主義』は続きます。

学生ほど『こうしなさい』と強制されるわけではないのですが、集団に合わせろという無言の圧力がありますよね。

 

  • みんなが残業していたら、仕事がなくても残業しないといけない雰囲気
  • 行きたくない飲み会にも参加しないといけない雰囲気
  • 新入社員だから進んで雑務をやらないといけない雰囲気

などなど、挙げ出したらキリがないほど『集団主義』による無言の圧力があります。

 

日本の教育でこの『無言の圧力』に慣れてしまっている為、側から見れば理不尽なことでも社畜は『みんながやっているなら』と受け入れてしまいます。

しかし、これでは自分でも気づかぬうちにストレスが溜まっていきます。

 

日本に社畜が多いワケ④暗記中心で思考させない

みなさん思い出して欲しいのですが、学校教育って暗記すればなんとかなる教科が多かったと思いませんか??

歴史で言えば『1192つくろう鎌倉幕府』『794うぐいす平安京』『710立派な平城京』だとか、とにかく『いつ』『誰が』『何を』ということを教えます。そして『なんで』『なぜ』はあまり触れません。

 

テストでもとにかく『年号』『登場人物』『出来事の名前』など表面上のことが問われ、『なぜその出来事が起こったのか』『それに至るまでの流れ』は問われません。

 

例えば『本能寺の変』

明智光秀が自らの君主である織田信長を裏切って本能寺という場所で自害させる。

ここまではみんな説明できます。

 

『なぜ明智光秀は君主を裏切ったのか』

『なぜこのタイミングなのか』

『なんのために裏切ったのか』

 

まで答えられる人はあまりいないと思います。

 

明確な答えがあるのかどうかもわかりません。

しかし、

『誰かに唆されてたんじゃないか』

『待遇が悪くて不満が溜まっていたのではないか』

『元々スパイだったのではないか』

 

と仮説を立てることはできます。

しかし、学校はここまで生徒に考えさせません。

表面上の知識を教えるだけです。

 

表面上の問いには『答え』があります。ですがその先まで深く考えると『答え』がありません。

考え続けるしかありません。考え続けても『答え』が出るかどうかは分かりません。

しかし、学校ではその先を考えさせる前に次の授業に移ってしまいます。答えの出ない問題を考えさせません。

 

しかし、学校を卒業して社会へ出ると『答え』がないことばかりです。

もし全てに『答え』があるのであれば、戦争やいじめや自殺や貧困など、社会問題は今頃全て解決してるでしょう。

いまだに解決しないのは、それは『答え』がない問題だからです。人間は考え続ける必要があるのです。

 

 

「生きていく意味」

「人生で成し遂げたいこと」

「仕事をする意味」

これらも仕事や社会問題と同じように絶対的な答えがありません。

個々人で考えて作り出すものです。考え抜いて自分なりに出した答えは全て「正解」です。

 

しかし、このような大事なことを考える暇もなく社会では「いい学校」に入って「いい企業」に入社して「いい暮らし」をすることが絶対的な幸せだと教えられます。

 

「なんのために仕事をしているんだろう?」と言い出した日には精神異常者扱いです。

それが一番大事なことなのに。

最後に

教育によって社畜を量産する理由はたった一つ

「国や企業が国民・従業員をコントロールするため」です。

 

職場でも

「いちいち噛み付いて反抗してくる人」

「従順で二つ返事で何でもやってくれる人」

だったらどちらの方がコントロールしやすいですか?

 

もちろん後者ですよね。

国も国民に一生懸命働いてもらって「税金」や「年金」を支払って欲しいのです。

国にとって「税金」や「年金」が一番確実に手に入るのは企業に入って働いてもらうことです。

毎月の給与を管理できてその中から確実に天引きできるからですね。

そのためには従順な社畜を量産する機関が必要です。

 

それがまさに日本の教育機関だと言えるのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

 

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